ストアマネージャーからお客様へ 25年分のありがとうと決意の手紙 前編


スターバックス コーヒー ジャパンは、8月2日で25周年を迎えました。日々お客様をお迎えする店舗のパートナー(従業員)は、どのような想いでこの時を迎えているのでしょうか。
スターバックス コーヒー ジャパンの原点といえる1号店の銀座松屋通り店で、現在ストアマネージャーを務める諸永さんと、オープンした1996年8月2日、その1号店のカウンターに立っていた羽柴さん。スターバックスとともに歩んできた時間を振り返りながら、2人に、1枚の手紙を記してもらいました。

「初心を忘れず、世界をより良くしていけるような場所でありたい」
銀座松屋通り店 諸永ストアマネージャー

「一杯いかがですか?」。インタビューのはじめ、立ち会ったメンバー全員に、自らコーヒーをいれてくれた諸永さん。「17年前、面接で出してもらったのが、1971年のスターバックス創業当時からあるこの『ハウス ブレンド』でした。自分にとっても思い出深いコーヒーなので、ぜひ飲んでいただきたかったんです」と満面の笑みで話します。

諸永さんは大学1年生のとき、スターバックスのパートナーになりました。今回、スターバックスでの歩みを語るにあたって思い入れのあるコーヒーをいれてくれたのは、コーヒーを挟んで向き合う時間の豊かさを諸永さん自身が強く感じているから。
「昨年、創業以降初めて、新型コロナウイルスの影響で1カ月以上も店舗を休業しました。再開直前に店内を掃除しながら、パートナーのみんなとこんな風にコーヒーを飲んだのですが、直接顔を合わせて一杯を味わえる喜びをひしひしと感じたんです。『きっとそれはお客様も同じだよね』と話し合い、気持ちを新たに再オープンすることができました」

「Our First Store In Japan」 のプレートとともに

諸永さんがストアマネージャーを務める日本1号店の銀座松屋通り店は、スターバックスにとってもパートナーにとっても特別な場所です。1階の壁面には「Our First Store In Japan」と刻印されたプレートが。メニューシートには、25年前の記念すべき初オーダーである「ダブル トール ラテ」が載っているなど、さりげなく特別感を演出しています。

「ストアマネージャーとして異動することを伝えられたときは聞き間違いだと思い、一度電話を切ってから再度確認をしました(笑)。銀座松屋通り店のオープン記念日である8月2日は、毎年いろんなお客様、社内の仲間が足を運んでくれるのですが、ここは私にとっても、パートナーの皆にとっても、初心を忘れないための大切な場所だと思っています。ただ、銀座松屋通り店だけが特別なわけではない、という気持ちも常に持っていて。今まで働いてきた店舗すべてが、私にとっても、それぞれのお客様にとっても、特別な場所です」

手紙を書く上で、何よりも伝えたかったのはお客様への感謝の気持ち。今後の目標を尋ねると、初心を振り返ってこんなエピソードを話してくれました。
「入社試験のエントリーシートには、成長する花の絵とともに、『スターバックスを世界中の人にもっと知ってほしい』と記しました。スターバックスがあることで、世界が良くなったと思っていただけるお店作りが目標です。たとえば、コーヒー一杯にタンブラーを使用しただけでは地球環境は格段には向上しないかもしれませんが、1,600店舗以上あるスターバックスは影響力が違います。今何をすべきか、しっかりとパートナーに伝えていけるリーダーになりたいです」
「ちょっと壮大だったかな」。はにかみながらも、真っ直ぐなその眼差しは次のステージへと向いています。

「バンクーバーからの縁、そして変わらず来てくださるお客様に感謝」
アトレ秋葉原1店 羽柴ストアマネージャー

こちらまで思わず笑顔になってしまうような快活で親しみやすい羽柴さんは、アトレ秋葉原1店のストアマネージャー。スターバックスでのキャリアの始まりは、25年以上前。カナダのバンクーバーでした。
「学校に通いながら英語を勉強するつもりでアルバイトをしようと、現地のスターバックスで半年ほど働きました」
帰国するタイミングでスターバックスが日本に上陸することを知り、1996年8月2日、銀座松屋通り店のオープンをパートナーとして迎えます。オープンからは連日長蛇の列ができ、「なんかもう、ひたすらラテを作っていました」と笑います。

「日中だけでなく、近隣のショップの営業が終わり従業員の方々が帰るタイミングで、また行列ができるんです。完全に想定外だったので、私と当時の店長しかいない状態で外まで行列が続いたこともありました」。オープン3日目には、氷が不足するハプニングも。「真夏だったのでアイスビバレッジのオーダーが多くて、氷を作るスピードが追いつかなかくて…急遽、築地に買いに行ったのを憶えています。2号店、3号店ができてからも氷がなくなることが度々あり、店舗から店舗へタクシーで氷を運んだりもしていましたね」。

最も印象深い出来事として話してくれたエピソードも、キャリアの長さがあってこそ。
「職場結婚なのですが、私がストアマネージャーを務めた赤羽駅前店がオープンして間もない頃、妊娠が発覚しました。その子どもが中学2年生のとき、同店で職場体験をすることになったんです。自分がオープンに携わった場所で、今度は娘がエプロンをつけて働く…なんだか感慨深くて、思わず夫婦で見学に行ってしまいました。本人はやりづらかったでしょうね(笑)」
ちなみに店舗に所属したまま、産休・育休を初めて取得したのも羽柴さん。スターバックスの変化とともに歩んできた羽柴さんにとって、イノベーションは「成長痛」。キャリアが長くなっても「毎日が新鮮で、仕事に完全に慣れることはない」と言い切ります。

現在のアトレ秋葉原1店で働くのは、5年目。ターミナル駅近くの店舗とありいらっしゃるお客様もさまざまですが、訪れるたびに声をかけてくれたり、結婚式の写真を見せてくれたりするお客様に元気をもらう毎日だと言います。
「お会いするたびに、前回の会話の続きをできるお客様がいるのは、本当に幸せなことですよね。手紙に添えた『Be your destination』という言葉は、私たちの店舗ビジョン。立ち寄っていただくだけではなく、ここを『destination(目的地)』にお出かけしていただけるような、あたたかいお店を創っていきたいです」。


ストアマネージャーの数だけ、パートナーの数だけ、そして一杯のコーヒーの数だけ物語があり、25年の積み重ねがあります。現在スターバックスでは、全国の店舗でストアマネージャーからお客様への感謝の手紙を掲出しています。お気に入りの店舗でメッセージを眺めながら、あなたの物語と重ね合わせてみてはいかがでしょうか? 後編では、日本全国のストアマネージャーからの手紙とメッセージをご紹介します。

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「目に見えにくい特徴も大切に」スターバックスが考える『NO FILTER』な社会とは?