大阪初出店から25年。大阪で働くパートナー(従業員)が育むそれぞれのジャーニー


大阪に西日本1号店として「梅田HEP FIVE店」がオープンしたのは1998年11月28日のこと。それから25年、大阪府下は現在約150店舗に広がり、お客様に支えられながらたくさんのパートナーたちが働いています。その中から3人のパートナーが、それぞれスターバックスジャーニーを語ります。

セカンドキャリアを輝かせる“永遠の102歳・アーサー”石原さん

吹田市内の店舗で、一緒に働く仲間から親しみを込めて「アーサー」と呼ばれている石原さん。前職は機械部品メーカーのセールスエンジニア。定年退職後、常連客として通っていた店舗で、セカンドキャリアをスタートしました。以来7年間、1日3時間半を週3回、カフェアテンダントというバリスタ業務の内容をしぼり、短時間の勤務もできる制度を利用して働いています。背筋をピンと伸ばしてデニムパンツを着こなし、「年齢を聞かれると、30年前から102歳って答えているんです」と愛嬌たっぷりに笑います。

7年間続けている理由を尋ねると、迷わず「好きなんでしょうね」と石原さん。同世代のお客様から「いつ見ても元気で素早く動いていらっしゃいますね」と声をかけられることもあるそうで、「お客様に喜んでもらえることがいちばんですね。スターバックスに若い人向けというイメージを持っている同世代の方も、私が働いていることでお店に入りやすいのではないかなと思います。今後の目標は、102歳まで働くこと!(笑)」と、やりがいを感じています。

また、学生アルバイトの多いスターバックスの中で「若い人と働くことはパワーをもらえてポジティブになれる」と、石原さん。休憩時間に趣味の話や人生相談をしたり、パートナーが出演する吹奏楽の発表会を見に行ったりすることもあるそうで、幅広い世代との交流も活力になっています。

こうした時間の中で、石原さんは「ありがとう」の言葉の力をあらためて感じていると言います。

「ありがとうと言うと幸せになるんです、言った本人がね。だから、言えば言うほど幸せになるんです」と、今日もここで出会うお客様やパートナーに、感謝を込めて「ありがとう」と声を掛けます。

夢を実現!“尊敬する父の背を追う”濱口さん

豊中市内の店舗で学生アルバイトとして働く濱口さんは幼少期からスターバックスが大好きで、大学生になったら働くことをずっと夢見ていました。その理由は、スターバックスで働く父親の姿にあこがれていたから。

濱口さんの父・裕也さんは、関西の店舗のストアマネージャー(店長)などを経験し、現在は採用担当としてサポートセンター(本社)で勤務しています。幼少期から母親とよく裕也さんが働く店舗にお客として訪れていました。実は母親も元パートナーなのです。「スターバックスで働いている方はみんなにこやかで、その人たちに交じって働く父は、かっこいいなって思っていました。だから幼いころから自分も“スターバックスで働くんやな”って思っていました」と、この道に進んだのは自然の流れだったそう。なんと、幼稚園に入る前からお絵描きでスターバックスのシンボルである「サイレン」を描いていたのだそうです。

濱口さんと父・裕也さん

店舗で見ていた笑顔で接客するバリスタは、実際に働いてみると「お客様を見ながらオペレーションをするのってこんなに大変なんだ」と、想像以上に難しいことに驚いたそう。でも、今ではそれが楽しさに変わり、様々なお客様と接することにやりがいを感じています。
「仕事の中でコミュニケーション力や社会性が身に付き、とても勉強になります。今年初めて後輩ができて、自分が先輩にしてもらってうれしかったように、意識してきちんとほめたりアドバイスしたりするようにしています。そして、今の目標は、バリスタトレーナーになることです」と向上心にあふれています。

そんな濱口さんを、裕也さんはどう見ているのでしょう。自宅では、干渉しすぎてはいけないと、あえて仕事の話はしていないそう。
「スターバックスは教育がしっかりしていて、環境も温かい。基本接遇が学べ、多種多様な方々と接する機会もあります。人間関係も含めて学び成長してくれたらいいなと思っています」と、ひとりのパートナーとして、そして父親として、成長を見守っています。

仕事も育児も自分らしく!“大阪・梅田のおかん”柳原さん

大阪・梅田でストアマネージャーを務める柳原さんは、スターバックスに入社して約20年。結婚、出産というライフステージの変化の中、仲間に支えられながらスターバックスジャーニーを続けています。

初めて産休・育休を取得したのは2005年のこと。不安を抱える中で後押しとなったのが、当時のディストリクトマネージャー(地区担当マネージャー)からの言葉でした。「今に比べて子育てをしながら働く女性が少なかったのですが、『これからのロールモデルになれるよう頑張って生んでおいで』と送り出してくれて。周囲のパートナーにたくさんのサポートと愛情をもらいながら働いて、産休・育休を取りました」と振り返ります。

産休・育休を経て、気づきもありました。「スターバックスはお客様にとっての居場所になりたいと願っていますが、私にとってもここが居場所だとあらためて感じました」フルタイムで思い切り楽しく働き、子どもたちのもとへ戻って向き合う。そんなスタイルが自分には合っているのだそう。

ストアマネージャーとしてパートナーをサポートする立場になり、一緒に働く仲間には“大阪・梅田のおかん”と思って頼ってほしいと伝えています。
「出産・育児とひとことで言っても人によって必要なことや想いは違うので、対話の機会を増やすようにしています。パートナーみんなに対し、パーソナルな部分の話もして“応援するよ”と伝えることで、ここがみんなにとっての居場所になると信じています」

最後に、大阪で長くスターバックスを見つめてきてどう感じるか尋ねました。「お客として初めてキャラメルフラペチーノ®を飲んだ衝撃を覚えています。 “ちょっと先を行く”という当時のブランドストーリーの通りだと思いました。それが25年を経て認知度が高くなり、お客様にとって安心感のある場所になりました」と、最先端の場所から“ほっとする居場所”への変化を感じているようです。

3人のパートナーのストーリーは、背景は様々ですが、その想いは共通しています。お客様のために、パートナーのために、その先にいる誰かのために。愛されるブランドとして成長し続けられるよう、パートナー一人ひとりが未来を紡いでいきます。

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バリスタの想いが詰まったスターバックス カードが登場