能登半島地震を「忘れない」ということのために、私たちができること。

能登半島地震から一年以上が経過しました。現地は、いまだ復興の道半ばです。
スターバックスでは、各店舗のパートナー(従業員)が主体となって地域のつながりを作る活動『コミュニティ コネクション』(通称コミコネ)を全国で展開しています。能登半島地震を受け、日頃から地域に溶け込んで店舗運営をしているパートナーたちの「自分たちに何かできることはないだろうか」との想いから、ひとつの活動が始まりました。それが仮設住宅やその周辺に暮らす住民の方々に、ひとときのコーヒータイムを提供するというコミコネ活動です。
今回訪れたのは、家屋の倒壊被害が大きかった珠洲市の正院地区。小学校に隣接する仮設住宅の集会所に、一杯のコーヒーをお届けしました。集まった住民の方々の明るい笑顔の一方で、一歩外に出れば、震災の傷跡がいまだに残る街並みが広がっています。震災から一年以上が経過した能登半島の現在の風景をお届けします。
集会所に広がるコーヒーの香り

2024年1月1日に発生した能登半島地震は、珠洲市では震度7を記録し、住宅被害が極めて深刻で、多くの市民が仮設住宅などでの生活を余儀なくされました。上下水道、道路、河川、海岸などのインフラも大きく損壊し、さらに復興途上の2024年9月には奥能登地域を豪雨災害が襲い、珠洲市は二重の被害を受けました。農地や河川にも新たな被害が生じ、復興の歩みにさらなる困難をもたらしています。
2025年3月。石川北・南地区のパートナーたちが中心となって、珠洲市の正院地区へと向かいました。能登半島の先端部に位置するこの街は、金沢駅から車で片道3時間以上。その道中は、隆起したアスファルト、応急修理された路面、片側交互通行の区間などが点在し、復旧工事は進んでいるものの、震災の傷跡が色濃く残っていることを実感させられます。
スターバックスの珠洲市への訪問は今回で3回目となりますが、正院地区の集会所を訪れるのは初めて。コーヒータイムの提供は輪島市と珠洲市で支援活動を続けてきた『公益社団法人ピースボート災害支援センター(以下、PBV)』と連携して行っています。

現地でコーディネートしてくれたのは、PBVの大塩さやかさん。震災の翌日から現地入りし、今も珠洲市に常駐しながら支援を続けています。孤立や孤独を防ぐため、大塩さんは、発災後からできるだけ人々が集まってお茶を飲んだり、話をしたりする機会を作るよう心掛けてきたそうです。2024年3月からは週3~5日、お茶会など住民同士が交流する場を設けて、お茶を飲みながらその日の出来事や家族の話、そして困りごと、心配ごとなどを気軽に話せる環境を作っています。
「能登の震災は広範囲ですし、珠洲市は半島の先端の為、支援が届きにくかったり。なかなか復旧復興が進まないのが現状です。倒壊した家屋の再建をどうするかなど、様々な問題があります。また、家屋の倒壊により同じ地域に住まわれていた方々が、別々の仮設住宅での生活を余儀なくされてしまい、今までの慣れ親しんだコミュニティがなくなってしまうことがあります。その為、仮設住宅でのつながりを持てるように、集会所等で住民の皆さんが気軽に集まってお話ができるような時間を作るようにしています」
今回は30名近くの住民の方々が参加されていましたが、震災後のお茶会で初めて顔見知りになった方も多く、再会を喜び合う声が会場から聞こえてきました。ドリッパーにお湯を注ぐとコーヒーの香りが集会所に広がります。「ああ、いい香りねえ」 「コーヒーの匂いねえ」。関係性を築いてきた大塩さんとの会話にも、笑い声が広がっていました。

今回のスターバックスのお茶会を主導するディストリクトマネージャー・清水さんは、初めて仮設住宅を訪れた時の心境を語ります。
「最初は、私たちが訪れていいんだろうか、どんな会話をしたら安心してもらえるんだろうという不安がありました。でも能登の皆さんから『久々に笑顔になれた!』という言葉をいただき、この時間の大切さを実感しました」
回を重ねるごとに、参加者からは地震当時の言葉にできなかった想いを打ち明けられたり、「コーヒーを飲んで気持ちがちょっと楽になったよ」という言葉を聞いて、パートナーたちも安心したそうです。

お茶会の中で、一際明るく参加者に話しかけている女性がいました。民生委員の瀬戸裕喜子さんです。彼女自身も自宅を再建しながら仮設住宅で家族と共に暮らしています。
「こうやって集まってコーヒーを飲むってね、とても大切なこと。仮設住宅に来てね、人が集まることの大切さを改めて感じているんです。小さな街だからみんな顔は知っていたけど、深く話したことのない人も大勢いたんですよ。でも、集会所でいろんなイベントがあるから今はたくさん話すんです。やっぱりね、誰ひとり孤立させてはいけないから」
若いお母さんが震災後に生まれた赤ちゃんを連れてコーヒーを飲みにやって来ました。誰もが自分の孫のようにあやし、お母さんの相談に乗ったりしています。赤ちゃんの泣き声を聞いた瞬間、瀬戸さんはニコッと笑いました。
「この声が大切。赤ちゃんの泣く声は、この世で一番いいねえ」

能登の街を歩いて聞いたこと
お茶会でつながりを作りながら、これからの街の復興を考えているメンバー同士で、時間を見つけては現在の街の様子を知るために周辺をくまなく歩いているそうです。この日も、お茶会の後に街歩きに出かけました。

「地震直後のこの付近の様子です」とスマートフォンの中の写真を見せてくれたのは、澤野未佳さん。写真の中の街は、いたる所の電柱がばたばたと倒れ、家々が崩れていました。現在の空き地は、それらが撤去された場所です。
震災前は市内のリゾートホテルで勤務していた若い世代の澤野さんは、大きな街に出れば仕事はあると言います。けれど、まだ心の整理がつかず、現在は街づくり活動を立ち上げ、自分にできることを模索しているとのことでした。高齢の方が多い珠洲市にとっては、澤野さんのような若い世代が身近にいることを心強く感じているようですが、それは澤野さんも同じだと言います。
「能登には人生のお手本にしたい素晴らしい人がたくさんいますからね。本当にすごい人たちばっかりなんで」と、母親世代の瀬戸さんたちを見て笑いました。「これから先のことはまだ気持ちが整理されていないので、言葉にはできません。ですが、今回のイベントのようなものがあれば、外の人がこの街に来てくれます。一番怖いのが、忘れ去られること。……それが一番怖いですね」。

瀬戸さんと共にいつも元気に集会所に顔を出す岩坂レイ子さん。この日の街歩きの途中、海の近くに建つ岩坂さんの家の前を通りました。一見、何の問題もないように見えましたが、家の下の地盤が歪んでいるため「住み続けるのが困難である」と全壊の判定を受けたそうです。夫婦と市役所に勤める息子さんとの3人で何不自由なく暮らしていた家を近々取り壊さなければなりません。心中を察すると大変辛いはずです。
しかし、岩坂さんは語ります。
「母の口癖が『ケセラセラ(Que Sera, Sera:なるようになる)』だったんですよ。何かトラブルがあっても『困ったもん。どーせ、約束やもの』って笑ってた。困ったことがあっても運命だから、受け入れなさいって母はよく言っていました。人を当てにせず、その日、その日を一生懸命生きていればいい。……そうしたら、人生何があっても何とかなるって」
震災を経験し、そのお母さんの言葉が改めて心の支えになっているそうです。常に前向き思考の岩坂さんが、最後に街を歩きながらふと言いました。
「ボランティアの人たちが、たくさん能登に来てくれるんですよ。本当にうれしい。私はどうやってこの恩を返そうかと思っているんですよ」

コーヒーを飲む。第三の場所の大切さ
今回の集会所でのお茶会は、わずか2時間ほどでした。コーヒーやお茶を飲み、お菓子を食べて、お話をする。その間は笑い声で溢れ、まるで親戚同士の集まりのような和やかな雰囲気ですが、集会所を一歩外に出ると復興道半ばの現実があります。
ディストリクトマネージャーの清水さんは、今後の活動についてこう語ります。 「能登を訪れたパートナーやご実家があるパートナーは、自身の経験を仲間たちに伝えて、風化させないために語り継いでくれています。知ってもらうことで関心を持ち、地域に貢献したいという想いが育まれると実感しています。誰かを想う気持ちを言葉や行動で表現することを、これからも大切にしてほしいと伝えたいですね」

「家庭でも職場でもない第三の居場所」を目指すスターバックスのコミコネ活動は、単にコーヒーを提供するだけではありません。被災地においても、人と人とをつなぐ役割があると信じています。清水さんは最後にこう付け加えました。
「コーヒーを通じて、誰もが自分の居場所と感じられるよう、地域の方々が新たなつながりを創るきっかけになればという想いは同じです。私たちができることを追求しながら、仲間を増やしていきたいと考えています」
継続的な関わりは、澤野さんが話してくれた「忘れられる恐怖」に打ち勝つための重要な手段です。復興への道のりは長く、被災地の方々の暮らしが元通りになるまでにはまだ時間がかかるでしょう。だからこそ、「忘れない」という気持ちとひとりひとりの行動が、復興への力となっていくはずです。スターバックスは、これからもコミコネや様々な活動を通し、被災地のみなさんと関わり続けていきます。
